えみのゆるゆるブログ

ゆるいことを呟くはずです。

感心してしまうこと

日々生活していて思うことがあります。人間って面倒臭くない?ってこと。
朝起きてから実際にやっていることを書き出してみたことがある人は分かるかもしれませんが、本当に一日の中でさまざまなことをやっていますよね。
食事・歯磨きは一日三回しているし、トイレは五回以上はしているでしょう。家事と括られていることの中には、本当にたくさんのタスクがありますね。
勉学に励んでいる人たちはやる科目や分野を選んで毎日少しずつこなしていますよね。
あらゆる活動をこなす人たち、人間ってすごくない?と素直に感心してしまいます。
(自分は違うよーみたいなニュアンスで言いましたが、自分もこの中に含まれます、人間なので。)

私が特に面倒だなーと感じていることは日々の食事なんですが、食事ってやばくないですか?
何がやばいって毎回違うものを食べているんですよ!なんでそんなにレパートリーが必要なの!?ってくらい。
しかも調理する必要があるものも多くて、私は長いときは一日トータルで三時間以上調理しています。
(ブイヨンスープとか作ってると六時間くらいは余裕です。ほとんど放置で済みますけどね)
確かに家事を無駄だと言い切る人の気持ちも分かります。これやって何か意味ある?と問いたくなります。
人間がやっている面倒臭いことの多くは簡素化することもできますし、逆に家事のようなものは際限なくやれてしまうのではないかなあとも思います。
ここで思うのはあらゆる活動って「面倒臭い」なと。
面倒臭さというものはある程度楽しさに変換する必要があると思うんですヨ。
もちろんしんどくならないように一部の活動を簡素化するということも必要だと思うのですが、私の場合は楽しむことにいつも重点を置いている気がします。
なぜなら、生きることは「面倒臭い」ことだから。
ハンドメイドなんて特にそうだなって思うんですけど、活動自体を楽しめないと続かないものってあるじゃないですか。
やらなければならないことは、面倒臭いなって感じちゃうと本当に辛いものになってしまいますよね。
でも面倒臭いと思っていることを全て排除して、他にやりたいことがあるならそれでもいいかもしれないんですが、
特にやりたいことがないときっていうのもあって、なかなか人間厄介です。
また、「何もしない」ができる人はすばらしいと思います。でも、できないならせめて活動自体を楽しみたいですよね。
活動自体が楽しめないなら、結果を出すことによって気持ち良くなりたいですよね。
「面倒臭い」という言葉は、虚無に続く道を開きます。あらゆる活動がただただ辛いとき、一般的には抑うつ状態といわれますが、それに陥ると本当に生きることが面倒臭く、辛いことになってしまいます。
私はあまり「面倒臭いなー」という言葉は使わないようにしています。虚無りたくないので。

話が少し変わりますが、年をとるといろいろな部分のメンテナンスをまめに行わないといけなくなりますよね。
あれもすごく面倒臭そうなんですが、それを当たり前のように日々こなす人たちに最近私はひどく感心してしまいました。
やっぱり生きるってすごいことだなあと。虚無に飲まれないように、私もそうやれたらいいんですが、どうでしょうね。
まあ、最悪人間やめる時期があってもいいぐらいの気持ちでいた方が楽です。
うまいこと活動を簡素化したり、楽しさに変換したり、自分を愛してあげたりしてなんとかやっていきたいです。
日々の「面倒臭さ」に対してこういう工夫してるよ!っていうのがあったら教えてくださいネ。