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不器用すぎる元手芸店スタッフのフェリシモキット奮闘記①

不器用すぎる元手芸店スタッフのフェリシモキット奮闘記①

~ビーズ刺繍キットは刺繍をするだけではない~

 こんにちは。ご無沙汰してます、えみです!最近いろいろとあって、ビーズ刺繍に向かう日々ですが、技術固め&スキルアップしたいなと思い、フェリシモクチュリエにある「『はじめてさんのきほんのき』気軽にはじめるビーズ刺しゅうの会」というキットを申し込み、1か月目を作り終えたので、その時、大変だと感じた部分を主にお話ししますね。以下くだけた感じでいきます。

www.felissimo.co.jp

 

 大変だったことその1
 ・布に接着芯を貼れない

 キットが届いてまず思ったのは、刺繍をするまでの準備がある!ということ。ビーズ刺繍って刺繍するだけじゃないんだね……。

 というわけで、説明書を読んでみると、どうも布を裁ち、接着芯を貼る必要があるらしい。とりあえず説明書を読むだけで1日、布をカットして接着芯を貼る工程で1日使った。所要時間目安は6時間だったし、1か月あるし余裕でしょ!とこの時の私は思っていた。

……まさかトータルで15時間かかるとは思っていなかった。

 布をカットして接着芯を貼る。言葉にすればたったこれだけのことなのに、不器用で不慣れな私にとっては1つ1つの作業がとても大変に感じる。ガタガタにならないようにカットして、接着芯を貼るためにアイロン台とアイロンを出した。アイロンなんて久々に出した。

 「せっ、せっちゃくしんなんていつぶりだー」ってぐらい久々に貼った。アイロンが適温になるまで待って、布とピカピカしている接着面を合わせて、(何度も間違えてないかチェックして)アイロンをスタンプのようにポンポンと押し当てていく。冷えるまで触らずに待ってみて、確認した。……布がペロンペロン剥がれてしまう。なんだか中央もちゃんとくっついていないし、端っこも丁寧に貼ったつもりだったけど、ペロンペロンする。「布が空しくペロンペロンしちゃう!」こう見えて私は元手芸店スタッフ!ドヤ顔で当時の店長の知識を脳内で再生しながら接着芯を貼ってみたけど、なぜかくっ付かない。

 「あ、あれえ?店長の知識はまがい物だったのかな?」
と昔お世話になった上司に責任をなすり付けながら接着芯貼りに奮闘するアラサー女性(足のサイズは24.5)。

――私の昔のアラサーのイメージと言えば、お洒落なバーでカクテルを飲みながら友人と世界情勢について話をする、みたいな感じだったのだけど(世界情勢とざっくり言ってしまう辺り、大人の会話がよく分かっていないアラサー)、現実は接着芯の貼り方もマスターできず、寝間着のまま刺繍キットに埋もれている私(足のサイズは左が24.5で右が24.0)。

 再びアイロンを当て、中央がくっついたのを確認して、端っこは多分大丈夫ということでスルーした。こんな大人になってはいけないよ!

大変だったことその2
・縫い糸が絡まりもつれまくる

 よっしゃ、刺繍は問題ないだろう!とたかをくくって縫い始めようとする私。刺繍糸を1本ずつ引き出し、表記通りの長さにカットして、ふわっと束ねて針に糸を通す。サクサク縫うぞ!と意気込みながら説明書を見て思った。……ステッチの種類多くない?知らないのがある!そして、知っているものもやり方を忘れている。時間がかかりそう。でも刺繍は楽しいので説明を見ながらチクチク縫い進めていく。

 ところが、またここで問題が浮上する。永遠の謎で本当に知りたいことの1つなんだけど、縫っていると糸が絡まってもつれてくるのはなんなんだろう。縫い糸が長すぎると起こりやすいので、書いてある通りの長さにカットして使っているのに、やっぱり縫っていると糸がくるくるして絡まり、最終的には結び目ができて解くのに時間がかかる。ビーズ刺繍用のハリのある糸のときは、起こりにくかったので気づかなかった。この前ネットで調べた通りに事前に糸を軽くピンピン引っ張ってから使っているけど、刺繍糸にはあまり効果がない気がする。うーん、どうしたらいいんだろう。ご存知の方がいらっしゃれば、ぜひご教示願いたい。

 結局謎が解けないまま、結び目が何度もできて、時折解きながら刺繍をした。恐ろしいぐらい時間がかかった。我ながら本当に元手芸店スタッフだったのかも怪しく思えてきた。そのぐらい不器用すぎた。でも、練習の分も、ニードルケースの分もなんとか縫い終えた。

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サンプラーカード用

 やった。終わった!と喜んだのも束の間、説明書は淡々と次の工程の話をしている。……刺繍したら終わりじゃないの?

大変だったことその3
・カッターでまっすぐ切れない

 練習用はサンプラーカードに、あと集大成として縫ったものはニードルケースに仕立てるらしい。私はこの仕立てるという作業がすごく苦手で、仕立てていないものが家にたくさんある。どうも楽しいところだけをやりたいタチらしい。スイカは最初の一口目だけが好きなタイプである。残りは食べない。そういうヤツである。

 サンプラーカードの説明に目を通すと、「カッターで図の四角の部分をくり抜きます」とあった。えっ、ま、まって!カッターでそんな真っすぐにカットなんてできないよ!みんなフリーハンドでそんな芸当ができるのか……恐ろしい。と考えながら、カッターを探す。切れるか分からないカッターが古い道具箱から出てきた。意を決してカッターに力を込めて動かしてみる。刃が悪いのか、私の切り方がいけないのかは分からないけれど、上手く切れない。しかもまっすぐなんて絶対無理だ。ツイートする。

「せんせー!カッターでまっすぐに切るなんて無理でーす!」

 一生懸命カットし終えた私。もはや気力が底をつきそう。カットし終えたタイミングでツイッターの通知が光った。優しきフォロワーさんが「金属の定規を当てて切ると良いですよ」とリプライしてくれた。

 ……

 ……

 ……!?

 そんな裏技があったの?

 なんてことだー!と母に事のあらましを説明すると、
「アンタ、そんなことも知らなかったの?バカだねえ」と追い打ちをかけるテレビっ子な母(足のサイズは23.5)。こちらをチラっと見ながら笑っている。く、くやしい、なんでみんなそんなに頭が良いんだ!

 私の目の前にあるのはガタガタの完成品。ああ、神よ、なぜ私にそんな試練を与えてくださるのですか(私は仏教徒です)。いない神を仰ぎ見たあと、のろのろと作業机に向かおうとしたところにインターホンが鳴る。

ピンポーン。

つ、次のキットが届いてしまった……。


つづく

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多分完成したサンプラーカード。見ての通りガタガタである。

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すごく歪んでいるニードルケース

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閉じるとこんな感じ


 *ちなみにニードルケースは滞りなくできたにはできたけど、不器用すぎて仕上がりが曲がっているという。仕立てるのが課題となったビーズ刺繍キット1か月目でした。

 *足のサイズの話。女の子は「足のサイズでマウントをとる」と思い込んでいる私です。ちなみに足のサイズは小さければ小さいほど可愛くて強いと思い込んでいます。

「トイレなんてしませんけど」みたいな顔をしている人のはなし

 「トイレなんてしませんけど」みたいな顔をしている人っていませんか?私昔からずっと不思議だったのが「下品なこと」がなぜあまり語られないのかということについてなんですが、最近少し分かりかけてきたので話そうかなと思います。

 トイレをすること自体は品のないことではないですが(多分)、トイレをすることについて語るとそれは下品なことになりますね。その仕組みがなぜか私には良くわからなかったので、自分なりに場を選びはしましたが、わりとオープンに「トイレした!」ということを昔話している時期がありました。

(一応言っておくと「トイレをすること」は声を大にして語られないこと全般を指すので、トイレに限った話ではないのと、「『トイレした!』を話している」というのも比喩です。)

 簡単にいうと「臭い物に蓋をする」風潮が私はすごく嫌だったんです。厳密には少し違っていて、悪いとされているものをあたかもないもののように扱う人々がすごく苦手でした。だから、あえて語ろうと強く意識していました。でもやっていることは小学生が「う○○!」とか「ち○○!」と言うことと同じだったなーと今になって思います。羞恥心を抱くべきところなんでしょうけど、そういうものは残念ながら今も特にないです。ただ当時の周囲の人に不快な思いをさせてしまったなと深く反省しています。

 

 その当時の私の感じ方はこうでした。「なんで皆毎日トイレをしているのにしてないみたいな顔をして生活しているのだろう?」「どうしてトイレしてるってことを表に出さないの?」。トイレについての話ができないということは、トイレに関する情報が全く共有されないということです。それは品がどうのという問題とは別に、何か危険がありそうでした。その点は今でも確かにそうだと考えていて、共有されるべき情報が共有されない事態というのは実際に起こっていると思います。人々の病気に関する知識の不足がそれに該当します。詳細に触れると話がズレていくのでしませんケド。

 

 話は飛んで今の感じ方に移ると、実は皆「皆毎日トイレをしている」ということは前提として分かっているんだ!ということに私はようやく気づきました。読んでいる人は当たり前じゃないか、と思うでしょう。私もびっくりですよ。そんなアタリマエのことに気づけていなかった自分にびっくりです。

 「『トイレなんてしませんけど』みたいな顔をしている人がいる」というのは、私の錯覚で、悪いものを排除しようとしていたのは(トイレを「悪」だとしていたのは)私の方だった!ということに気づいたのです。そして、トイレをするということをいちいち皆が話さないのは、「皆日々トイレをしている」ということが人間の生活の前提としてあるからだということがようやく分かりました。

 セックスに関して言えば、そんな単純なものではないかもしれないです。まだ上手く言葉にはできませんが、性の問題についてもっと語られるべきことは確かにありますが、セックスという二人の体験について語るべきかということには議論の余地がありそうです。秘めておくことに何らかの意味、価値があるんだろうなというのが最近の肌感覚で分かってきたことです。確かに人に聞かせたからといって何も減らないじゃないか、みたいなことは簡単に言えるけれど、例えば人に映像として見せてしまうと、壊れてしまう何かがあるのだろうな、文章に起こしてしまうと、壊れてしまう何かがあるのだろうなということが本当に今更なんですが、私にはようやく分かってきました。ここもっと上手く説明できたらいいですね、今後の課題にしておきます。

 

 なんだか最近皆にとって当たり前とされていること、つまり常識全般において、私が良く分かっておらず、本当にやっと身をもって分かったぞということが多々あるんです。そういうことに気づかせてくれたのは、周囲の人たちと何よりパートナーの日々のお話によるものかなと思います。周囲の方々本当にありがとうございます。そしてパートナーにはお礼をここでいうのはおかしいので本人に伝えておきます、と思ったけど、伝え方が難しいのでこのブログを読んでもらうことにします。いつもありがとうございます。

 

 上手くまとめきれなかったけど、今日はこの辺で。とにかく「皆トイレしてるんだ!」ということに気づけて本当に良かったです、まる。

宿題というものについて

こんにちは!お久しぶりです!いやあ、いろいろとあって書けない日々が続いておりました。久々に書くよー!

今日は宿題について話そうと思います。皆さんは宿題と聞くとどんなイメージを抱きますか?夏休み終わりの切羽詰まった感じを思い浮かべますか?毎日出る古文や英単語の小テストにうんざりしてましたか?「宿題」と聞くと嫌な感じを抱く人が多いかもしれませんが、私はというと安心の材料でした。

具体的に書くと、「一日これだけやっておけば最低限の学力は保てる」とか、「この宿題さえしておけば親は怒ってこない」とかそういう類のものでした。宿題があることによって、今自分が何をした方が良いのかがわかる感じがして、好きでした。もちろん煩わしく感じることもありましたけどね!

でも宿題というものはあくまで最低限やるもの、日々のストレッチとか、もっというと食事に近いかなあと思います。筋トレや有酸素運動もしたくないですか?デザート欲しくありませんか?

というわけで、自主勉というものも自分にはありました。宿題というのは、自分の好みの勉強ばかりしないようにするストッパーにもなっていました。自主勉はプラスアルファでやりたいことをする、やった方が良いかなと思うことをするといった感じでした。本当に勉強が上手な人は、授業内で全てきちんと理解するため、宿題が不要なものとなりますが。私は何故か宿題や自主勉をするという行為自体を好きになってしまいました。そういうところは今でも変わりありません。

最近「デザートばかり食べてていいのかな?」と思うことがあります。なんで今更宿題が懐かしくなっているのでしょう。全く変なヤツです。こうなったら自分に宿題を課す他ないですね。というわけで、最近習慣にしたいことを宿題としてやってますが、なかなか難しいです。時間の有効活用という言葉が苦手であまり考えてこなかったのですが、ふんわりで良いのでうまくやらねばねばねばと思っています!

感心してしまうこと

日々生活していて思うことがあります。人間って面倒臭くない?ってこと。
朝起きてから実際にやっていることを書き出してみたことがある人は分かるかもしれませんが、本当に一日の中でさまざまなことをやっていますよね。
食事・歯磨きは一日三回しているし、トイレは五回以上はしているでしょう。家事と括られていることの中には、本当にたくさんのタスクがありますね。
勉学に励んでいる人たちはやる科目や分野を選んで毎日少しずつこなしていますよね。
あらゆる活動をこなす人たち、人間ってすごくない?と素直に感心してしまいます。
(自分は違うよーみたいなニュアンスで言いましたが、自分もこの中に含まれます、人間なので。)

私が特に面倒だなーと感じていることは日々の食事なんですが、食事ってやばくないですか?
何がやばいって毎回違うものを食べているんですよ!なんでそんなにレパートリーが必要なの!?ってくらい。
しかも調理する必要があるものも多くて、私は長いときは一日トータルで三時間以上調理しています。
(ブイヨンスープとか作ってると六時間くらいは余裕です。ほとんど放置で済みますけどね)
確かに家事を無駄だと言い切る人の気持ちも分かります。これやって何か意味ある?と問いたくなります。
人間がやっている面倒臭いことの多くは簡素化することもできますし、逆に家事のようなものは際限なくやれてしまうのではないかなあとも思います。
ここで思うのはあらゆる活動って「面倒臭い」なと。
面倒臭さというものはある程度楽しさに変換する必要があると思うんですヨ。
もちろんしんどくならないように一部の活動を簡素化するということも必要だと思うのですが、私の場合は楽しむことにいつも重点を置いている気がします。
なぜなら、生きることは「面倒臭い」ことだから。
ハンドメイドなんて特にそうだなって思うんですけど、活動自体を楽しめないと続かないものってあるじゃないですか。
やらなければならないことは、面倒臭いなって感じちゃうと本当に辛いものになってしまいますよね。
でも面倒臭いと思っていることを全て排除して、他にやりたいことがあるならそれでもいいかもしれないんですが、
特にやりたいことがないときっていうのもあって、なかなか人間厄介です。
また、「何もしない」ができる人はすばらしいと思います。でも、できないならせめて活動自体を楽しみたいですよね。
活動自体が楽しめないなら、結果を出すことによって気持ち良くなりたいですよね。
「面倒臭い」という言葉は、虚無に続く道を開きます。あらゆる活動がただただ辛いとき、一般的には抑うつ状態といわれますが、それに陥ると本当に生きることが面倒臭く、辛いことになってしまいます。
私はあまり「面倒臭いなー」という言葉は使わないようにしています。虚無りたくないので。

話が少し変わりますが、年をとるといろいろな部分のメンテナンスをまめに行わないといけなくなりますよね。
あれもすごく面倒臭そうなんですが、それを当たり前のように日々こなす人たちに最近私はひどく感心してしまいました。
やっぱり生きるってすごいことだなあと。虚無に飲まれないように、私もそうやれたらいいんですが、どうでしょうね。
まあ、最悪人間やめる時期があってもいいぐらいの気持ちでいた方が楽です。
うまいこと活動を簡素化したり、楽しさに変換したり、自分を愛してあげたりしてなんとかやっていきたいです。
日々の「面倒臭さ」に対してこういう工夫してるよ!っていうのがあったら教えてくださいネ。

若い人がどんどん増えていくというはなし

年をとることについて最近よく考えるというか、感じているんですが、皆さんはどのようなものだと感じていますか?
私は今のところ、ほとんど自覚なく年をとっていて、まだ体力的に衰えを感じにくいので、「自分より若い人がどんどん増えている」ような印象を受けます。
自分と同い年くらいの人たちがスーツを着ていたり、子どもを連れて歩いていたりするのを見て、いまだに驚きを隠せません。
自分と同世代の人たちが結婚して、子どもができて、人々を支える柱の一部となっていくさまをありありと見せられて、ただただ感心しています。
そして、自分より年下だな、若いなと感じる人が徐々に増えてきて、変な感じがします。
さいころから加齢というものは、もっと怖くて、絶望的なものなんじゃないかなって思っていました。
でもいざ年をとってみると、不思議な感覚しかない。自分と同じくらいの年の人たちが、どんどん立派な大人になっていく。これは、どちらかというと喜ばしいことであるような気がしてきます。
自分より若い人たちの溌剌とした感じもすごく好きで、その子たちを見ると、なんだか未来が明るいような気がしてきます。
どうして老いを感じるよりも、若い人が増えていくことに驚いているのか少し考えてみると、老いるほどの年齢には達していないというのが一つと、私の心の時間がおそらく高校辺りでストップしていて、そこから緩やかで穏やかな時間が流れているからじゃないのかなというのが一つあります。
具体的に説明するのは難しいんだけど、私は学生の頃の様子をかなり鮮明に覚えているつもりです。タイミングにもよるけれど、昨日のことのように話せる日もあります。話すと長くなるので省略しますが、鋭い苦痛と眩しいほどの喜びに満ちた日々でした。
その苦しみながらもがいていたあの日々が、ある出来事によって止まってしまい、その後のさまざまな感覚を大きく変容させました。
このことに絶望したり、悲観したりすることもできるのだけど、私の場合は、ただ歩みを止めてのんびりとしているだけなので、高校までとは違う生を生きているようなそんな感じがしています。
きっとまた十年ぐらいしたら、年をとる感覚も変わってくるのかもしれません。
この不思議な体験を皆しているのかなと気になって投稿してみました。どうなんでしょうね?

ハンバーグって

やっぱり家庭の味の代表格って感じですよネ。

手間がかかっていて、安いお肉をなんとか工夫して美味しくしようみたいな。手間暇かけたものって愛情が感じられるーとか言うじゃないですか。

アニメや小説で登場した時は母親らしいことの象徴として出るなあって感じがします。

 

ところでハンバーグってどうやったら美味しく作れると思いますか?

ポイントがいくつかあると思うんですよね。レシピを見てても、何気なく書いてあることが本当に重要で。

挽き肉の扱い方としては基本めっちゃ捏ねるっていうのがありますね。冷蔵庫から出してすぐ手早くこねこねする、と。体温で脂が溶けてしまうので私はヘラでこねこねしてますが、そうするとなんかこう力が入りづらくて、ちゃんとこねこね出来てるのか心配になってきます。まあそれでも手じゃ絶対に捏ねないんですけどね!(ベタベタするのが嫌なので)

あと、つなぎに使用するものはしっかりふやかしておくとか、玉ねぎは飴色にした後、バットで完全に粗熱を取って冷蔵庫に入れて冷やしておくとか。

でも、最大の難所って焼きだと思うんですヨ。フライパンの場合は水蒸気を利用して焼き上げるのが私の経験上ではダントツで美味しいですが、ちょっと手間なので、うちは基本オーブン任せです。

オーブンで焼くのがほんとにオススメ、コツとか要らないし、生焼けって心配もないです。フライパンで予め焼き色を付けておいて(強火)、大体200度で10分くらい焼いてます。

ここに書いてあることを守ればほんとにいつもより美味しくできると思うのでぜひぜひ真似してほしいです!

あ、あとうちは挽き肉にはマヨを追加してます。マヨの味は全然しないのでこちらも試してほしいです。牛脂を入れる方もいらっしゃいますよねー、あれどうなんだろう?

 

そしてソースも大事ですよね!ツイッターのサブ垢で少し話したんですが、醤油+白ネギのみじん切り+からし(チューブ)の組み合わせが本当に美味しくて!和風ハンバーグが好きな人には絶対オススメです。

 

今日も頑張って作りました。これから焼くところです。美味しくできるといいな。他にもコツやこうした方が美味しいよ!っていうのがあったら教えてください!勉強したいです。

 

 

でも私ハンバーグよりステーキ派なんだよね……。

寿司ゆきちゃん見つけたので。

えーこのデザイン可愛すぎる、書きたいってことで書いてみたり。

お散歩して、桜の木を見たらもう青々と葉が茂っていてびっくり。

引きこもりは世の中に置いていかれますね。

いろいろと書きたいことはあるはずなのに、出てこなくなるのほんともう何!ってなっちゃいます。

 

最近またハンドメイドが気になっています。

タティングレースを見つめています。見つめるだけ。

たくさん材料は購入してあって、本もあって、あとはやるだけなんだけど、これがなかなか。

やり始めてもすぐに止めてしまったり、そもそも始められなかったり、病気した後の人生何これ!って感じですよもう。

この文体は高校のときにやっていたやつに寄せてるので文句は言わないでくださいね!

 

全然使い分け考えてないけど、このブログに関しては可愛いことを書きたいなーなんて思いました。可愛いことってなんだろうね?

とにかくデザインが可愛いのでみんなも気になったら使ってみてね!設定のデザインの公式テーマのところから探せばあるよ!他にも可愛いのいっぱいあったから見てみてね。